令和2年9月8日の言霊
メルカリ ココナラ 占い師サイトに稲荷堂は登録し、紹介されたこてがあります。しかし呪詛、教えに導く行為が規約違反として取引禁止処分となりました。必ず道には障害があるものです。いまクチコミでひろくの迷っているひとたちとご縁をいただき、ご相談に乗れるのも、障害あってからこそであると思います。こころがあるなしは大切です。信心はヒトを救う わかるひととわからない人 背後に稲荷堂を望む先祖と嫌う先祖がおられるのは残念ながら、諸悪はご先祖さまの因縁にねざしている証拠に逆になっています。よくわかる いままわりにいじめてくるひて、いやなひとの存在は仕組まれた存在なのです。演劇の登場人物たちなのです。おそれることはありません。道はひとつ
令和2年7月31日の言霊
祈り合わせをするものは心して聞かなければいけない。何が何だか分からないが、幸せでしょうがない、家庭が円満でしょうがないという思いになることが人間の目的である、神はそのように道付けをしてできない場合は道を切り捨てる、冷酷であるが幸せは限られたものしか開かれない道である
令和2年7月30日の言霊
よく巷の仏教でいうただの念では人生には勝てない。病気になること、親子の断絶が起きること、次々と問題が起きることは念の仕業である。一生懸命生きていたのに幸せになれないのは全て念のなすところである。生まれることも死ぬことも自分の意思では何もできない。生まれた後から死ぬまでは大自然に生かされているのである。生かされている間にやることはこの問題である念、そのものを切り捨てるという修行である。人間が死ぬという状態は肉体と心がなくなる状態であるが念は生き続けている。怨念に限らず先祖本人子孫につながる罪獲、原罪なるものなのだ。
令和2年7月29日の言霊
自分には力がないと思っている人は必ず力のない状況をつくるものであり、病気になるのはかかった人の体の中にある原因をまず直さないからである。また今お金がないと意識している人は10年後になってもお金は絶対にない。頭の中でも何でもできるが、行動しない限り現実はその逆になってしまうのである。これは神の導き以前の問題である。
令和2年7月28日の言霊
願って求めてすがって幸せになった人はまだいない現実はもっとひどくなっているものが多い、素直に自らを表現して自ら求めるものを求めるものが神に慈悲をもらえるのである。
ここでよく記憶しなければならない。自分というのはご先祖様5代前からの生き様が表現されているのである。今自らの自分は5代前のご先祖様を表現し、今現在5代先を作っている最中なのである。この意味で私たちは今子孫自体を作っているのである。だからこそ徳を積む必要がある。今現在の愚かなる行為は全て自らの5代先の子孫に受け継がれるのである
令和2年7月27日の言霊
人間に雑念があるのは当たり前のことである。雑念を取り除こうとするところに狂いが生じるのである。善人は罪悪感に振り回されるのである。ものの考え方が立派でも生活が乱れていたら何にもならない。人というのは神の子である。もう一度自らを善人と思っているものはどうして善人であるのか、悪人であるものはどうして悪人であるか、もう一度考えるべきである、既存の宗教のお言葉をお題目にしてありがたがることをやってはいけないそれで罪を消えることはないのである。まず自分が神の子であることを自覚しよう。そこから開運は始まる
令和2年7月26日の言霊
人間でありながら人間が分からない人間が世の中には沢山います。人間でありながら人間が分からないために、もがき苦しんでいる人間がたくさんいます。人の生き方とは頭だけで渡れるものではありません。人の生き方とは理屈や理論だけでは渡れるものではありません。計算ずくで渡りきれるものでもなければ人生とは怖いながらも人生なのです。神に任せる生き方とはただひとつの正しい道であり、真理ではなく、神理である そして、はやいものがちである
令和2年7月25日の言霊
これ皆自業自得なり、知りつ知らざる差こそあれ、因と縁があるものぞ、そして陰陽もあるもので知る知らずして人生進んでも自覚反省懺悔なし努力精進を同行しても神や仏に祈願して神や仏に任し切る、その時その身その心、神や仏と共にあり、こころに迷いはなかりしか、悟りはなかりしか、高天原も天国も極楽浄土も目の前にあるのに何も求めない、それは自ら悟りを開かない自らが悪いのである
令和2年7月24日の言霊
物事をなす心がないのに、理解を得ようとしてもなかなか得られるものではない。この世の中で見えないものほど難しいものはないのです。心通りによく事を成すこと、これは非常に難しいだからこそ神も仏も人も同じことなのです。自分を信じ自分を磨き信仰の道に専念することこそたくさんの山を超えることができるのです。みんなの願いを受ける神仏は心の修練ないものに答えることは何もできないのであります。
だから願い事が成就しにくいのです
われ縁斬りをわざとするは、降臨来座したる神であるたたりがみ こんじんさまのなせるわざにほかならぬ
令和2年7月23日の言霊
手の先変える不可思議を知り、調べることこそ行であり、善きも悪気も霊感 霊示は受け手と受け手のご先祖の霊界でのレベル 序列による いかなる状況にあるか、先祖が欲するが故にこの導きに縁を持ったことを自覚すべきなのです
mail tanaka666kou@gmail.com
営業時間 | 平日:10時~20時 土日祝:9時~18時 |
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受付 | 平日:19時まで 土日祝:17時まで |
定休日 | お困りのときはいつでもご連絡をお待ちしております。 |
見料 | 1000円 |
スタッフ数 | 霊師 3名 |
駐車場 | 有り(3台) |
住所 | 岡山県瀬戸内邑久町本庄2500ー2 稲荷堂 |
のろいがけは当方では祈り合わせの形を取ります、のろいがけの時には数名の同席する方を準備していただく必要がございます。うしのこくまいりをお考えのかたにも祈り合わせのために数名のご参加をお願いいたしております。
ご祈祷、のろいがけ、祈り合わせのときに感情の高まりや憑依により、トランス状態、絶叫、失神などされるかたがおられます。かならず数名の祈り合わせをお願いしております。
関連ホームページ 稲荷堂
https://exqkv.crayonsite.net/
https://j2apz.crayonsite.info